昔昔、まだ日本に米軍がゴロゴロいた頃の話。
休暇だかなんだかに街に繰り出した時、配給を配ってたばあちゃんに一目惚れしたらしい。
居ても立ってもいられなくなったじいちゃんはばあちゃんに会いたいがために脱走したことがあるそうだ。それも何度も。
ばあちゃんは『鬼畜米英』を教え込まれていたので、ものっそい不審がって逃げ回ってたそうだ。
それでもばあちゃんに会って『恋仲になりたい』と願い続けていたそうだ。
日本贔屓の上司にどうやったら日本の女性と付き合えるのか聞いて、日本語で恋文をしたためたり、貸してもらった和歌集から恋歌を抜粋して送ったりした。
さらには積極的にいくと日本の女性は怖がると聞いたら遠巻きに立って
「ここから一歩も近づきません!」
と宣言して、そこから一所懸命恋文や恋歌を投げたりしたんだそうだ。脱走して。
じいちゃんは毎週ばあちゃんのもとに通って、へったくそな日本語の恋文と恋歌の写しを投げて、ばあちゃんが拾うのを確認して一礼して走り去るということを繰り返していた。
ある日、じいちゃんが投げた恋歌の中にばあちゃんが好きな歌が入ってたのがきっかけで、ばあちゃんから
「この歌が好きなんですか?」
と話しかけたらしい。
そこでじいちゃんが全く日本語ができない(『ここから一歩も近づきません!』は日本贔屓の上司に教えてもらった唯一の日本語)ということが発覚して、じいちゃんが滞在中ずっとばあちゃんが日本語を教えてたんだそうだ。
そのお礼として米軍配給の缶詰だのを渡してたんだそうだが、上司の入れ知恵で同じ隊の他の人に事情を話してちょこっとずつ缶詰だのを分けてもらって
「ご近所の皆さんで分けてください」
と箱一杯に差し入れたみたい。
それがきっかけでばあちゃん一家に受け入れられて、アメリカに帰る時には一緒にご飯を食べたんだって。
その時に『もうアメリカに帰ったらばあちゃんに会えないかもしれない』そうと思って
「普段味気なく食べている配給もあなたと食べるとごちそうのように美味しかった」
「そんなあなたともう会えなくなるのは生きている意味を感じられないほど悲しい」
と伝えたら、ばあちゃんも
「とても優しいあなたと会えなくなるのは私も悲しい」
と返したそう。
じいちゃんは自分の所属部隊と名前と階級を書いたメモを渡して
「もし私とまた会ってもいいと思ったら、残っている米兵にここ宛に手紙をください」
と言って、米軍が完全撤退するまでしばらく文通してたんだと。
そのあとじいちゃんが日本にきて、ずっと独身だったばあちゃんと結婚。