今から数年前の出来事。
当時、私は確か小学四年生で農家の多い田舎に住んでいました。
その日も私はいつものように学校へ行き、普段のように授業を受けていました。
平凡な一日に終わるはずでした。
「彼」が登場するまでは…。
あれは何時間目だったかな。
担任の先生の授業を聞いていて、黒板の文字を模写していました。
すると前方のドアから一人の男性が入って来ました。
なんかみたことあるような…
なんとそれはまぎれもなく私の父でした。
仕事着のまま父はそのまま教室の後ろまで歩き、何気なく立っていました。
どうやら授業参観の態勢に入ったらしい。
私は訳がわからず、ただただ凍りついていました。
案の定、となりの席の男子が私のことをからかいます。
「オイ今日授業参観じゃないだろ。お前の父さん何しにきたんだ」
「そうだよね。その通り今日は授業参観じゃないし、父も学校にくるなんてこと一言も言ってなかったよ」
でもまあ、父のことだ。
なんとなく、そんな気持ちになってしまったのだろう…。
まあ、それにしても担任の先生も驚く。
彼は何事もなくいつものように授業をしている。
私には信じられなかった。
父を注意して欲しかった。
そして、それから長い長い四十分が続き、妙な空気のまま、一人だけ参加の授業参観が続いた。
私はもう恥ずかしくて、逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
そして、家に帰ったら何と言って怒りを父にぶつけようかと、必死で考えていた。
長い長い、四十分が過ぎ、すぐ帰るはずの父は教室の展示物やら、飼育していた小動物に目を奪われている。
担任の先生は笑顔で、親切に、丁寧に説明を始めた。
父は楽しそうに説明を聞き、何やら質問し、感心したようにうなずき、納得し、そして深々とお辞儀をし、帰っていった。
家に帰り、私は父が仕事場から戻るのを、ひたすら待った。
父のことは大好きだった。
父は少し変わったところもあるが、明るく、楽しく、何より子煩悩な人であった。
私はそれまで反抗したこともない娘であった。
でも今日のことはどうしても許せない。
何と言って父に抗議してやろうと、考えていた。
いつものように父は帰ってきた。
そして私の顔を見るなり満面の笑みで静かに話し始めた。
「今日は父さん仕事に空きができたから、学校にいったんだ」
「ほら、普段の授業参観の日は、平日で父さん見に行きたいけど仕事が忙しくて行けなかったからさ。」
「前からお前の勉強してるところみたかったんだ。」
「お前…姿勢悪いなぁ…」
あぁ、そうか。
私はそれまでいっぱいにしていた怒りが一瞬にして消えていくのを感じた。
父だって、一人で教室に入るのには少し抵抗があったに違いない。
けれど、父は見たかったのだ、私の授業を。
父はひたすら私の背中を見つめてくれた四十分…。
私は父に
「そう」
と一言いって夕飯を食べた。
やっぱり父は少し変わっているなあと思ったものの、悪気のない父を責めることも出来なかった。
寧ろ、時が経つにつれて私はあの四十分をとても贅沢な時間に思うようになった。
あの日の授業は、私と父だけどための授業参観だった…。
それから十年の月日が流れ、父は大病に倒れ、あの世に逝ってしまった。
父との思いでは数々あるが、短い人生をまるで知っていたかのように深く愛していてくれたことに感謝の気持ちでいっぱいです。